* こちらのお話は 『相生の』 をお読みになってからご覧ください。
時間軸が上手に整理できず、申し訳ありません(謝)
短夜甘く
祝言を挙げて暫く経つとはいえ、ようやく想いを重ねた二人の間はぎこちない。
抑えに抑えていた恋情を昨夜勢いのまま解き放った男は、土間でパタパタと
夕餉の後片付けをしている恋女房の気配を探っている。
(今朝方は、抑えきれずに無体を強いた私の事を許してくれましたけど・・・)
形ばかりの夫婦暮らしでも傍らにいてくれるなら幸いと思おうと、
なんとか自分を宥めていた時に松本に聞かされたセイの東帰の話。
目の前が真っ暗になり、次いで胸の中で嵐が荒れ狂った。
ぎりぎりに残った理性でその夜の巡察を永倉に代わってもらい、家に走り戻った。
そして・・・。
――――― ぼっ!!
自分のした事とはいえ、思い出す度に顔から炎が噴き出す気がしてくる。
穢れの無い白い肌と甘やかな吐息。
慣れないどころか全てが手探りの自分が、本能のまま貪るように求めた。
小さく震えていた身体は、それでも男の欲望を必死にも柔らかく受け止めてくれたのだ。
愛しい、という自分の想いにそれ以上の心を返してくれた女子が、手を伸ばした場所にいる。
本来であれば夜番明けだった今日と非番の明日は隊に出向く必要も無く、結局今日は
ようやく訪れた幸福の余韻で昼までセイを腕の中から離す事ができずにいた。
困ったように「洗濯が、掃除が、隊の仕事が」と呟く可愛い人の言葉を封じながら、
祝言からこちら悶々と悩み続けた己の臆病さを思い返しては嘲笑った。
大切すぎてどうすれば良いのかわからずに、ただ惑うだけだった自分のせいで
この人にも切ない思いをさせていたのだから。
だが・・・それももう過ぎた事。
今は自分の願いのままに、愛しい人はこの腕の中にいる。
今日は一日、こうして過ごしてしまおうか、と柔らかな温もりに溺れた男が
うつらうつらし始めた時。
一瞬の隙を突いて起きだしたセイは、そのまま日頃の働き者振りを発揮し、
時折腰を押さえて恨めしげな視線を総司に投げながら家事をこなして今に至る。
――――― りーりーりー
葦戸(よしど)から宵の涼しい風と共に虫の声が室内へと吹き込んでくる。
夏の間は障子の変わりに葦を編んだ戸を立てるのは、この家に以前住んでいた
大店の隠居が風流を好んだからだろう。
月明りにぼんやり照らされる庭は枯山水というもので、見る者が見れば溜め息ものの
名庭だと聞かされたけれど総司にとっては花の無い淋しげなものでしかなかった。
昨日までは。
夢にまで見た宝珠を手に入れた男には、花の無い庭も極彩色に彩られる。
点在する侘び寂びめいた庭石の一つ一つも、色も艶やかな水晶にさえ
見えているのかもしれない。
(セイは、まだですかねぇ)
行灯の明りに浮かび上がる布団は一組。
夕餉の後でセイが延べていったものだ。
その真ん中に置かれていた枕をそっと端に寄せた男の頬がだらしなく緩んだ。
(セイの布団は後で運ぶつもりなんですかね。でもいりませんよね。
一組あれば充分なんですから。必要なのは枕だけでしょうか・・・)
――――― ふふふ
無意識に零れた含み笑いに一瞬庭の虫の音が止んだ。
広がった静寂の中に軽い足音が近づいてきて総司の鼓動が高鳴った。
「沖・・・総司様・・・」
障子戸と違い、葦戸を透かして華奢な姿が垣間見えた。
「は、はい」
入室を許す声が微妙に裏返ってしまったのは、あまりに待たされたせいだろう。
最高級の甘味であろうと、ここまで自分を魅了する事は無いだろうと思いながら
セイの姿が葦戸の向こうから現れるのを待つ。
――――― さらり
軽やかな音と共に葦戸が開かれ、一層濃密な夜気が室内に流れ込んだ。
夏の夜特有のしっとりと湿り気を帯びた大気を身に纏い、涼しげな麻の夜着に
着替えたセイが慎ましやかに総司の前に膝をつく。
「かみ・・・いえ、セイ・・・」
胸の内では何の抵抗もなく呼べる名も、口に出す時には無意識に馴染んだ呼称と
変化しかけ、慌てたように言い直す。
そろりと視線を上げたセイが、熟れた果実の如き唇を開いた。
「では、おやすみなさいませ。総司様」
「・・・・・・。はいぃぃぃっ??」
一拍呼吸を止めた男が目を見開いて室を出ようとするセイの腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! か、か、か、神谷さんっ!」
動揺の余り次の言葉が出てこない。
ぱくぱくと何度か口を開け閉めして、ようやく必要な言葉を形にする。
「おやすみなさいって、貴女どこで寝るつもりですか?」
「どこって、いつもの部屋で・・・」
視線を伏せて呟くように告げられたその言葉に、総司は掴んだままの細い腕を強く引いた。
「どうしてっ!」
声音が激しくなるのも当然だろう。
触れたくて触れたくて触れたくて触れたくて(以下略)祝言以来、いや、上司と配下の
関係だった頃から自覚の有る無しに関わらず、ひたすらに求めていた女子を
ようやく真実自分のものにできたと思っていたというのに、あまりといえばあまりな言葉。
「どうしてって・・・」
セイは視線ばかりでなく、表情さえ見せないように俯いてしまった。
「私が何かしましたか? せっかく昨夜は互いに想いを交わして」
言葉の途中で総司の思考が妙な方向へと捻じ曲がった。
もしや・・・下手・・・だったとか?
だから、もう私と共寝をするのが嫌になった・・・とか?
恋情に我を失った男の意識が暴走するのに時も理由も不要かもしれない。
力無く項垂れ、セイの手を離した男がぶつぶつと畳に向かって呟き出した。
「そりゃ、私は他の人のように遊里で色々教わった事は無いですし、初めての女子である
貴女を気遣う事もできず、至らない事も多々あったかと思いますけど・・・。
だからといって今更他の女子で修行を積むのも抵抗があるじゃないですか」
「総司様?」
畳の目を数えるように一本一本い草の膨らみを爪の先で潰しながら、総司の言葉は続く。
「遊里に行かずに上達する方法は何かないでしょうかね・・・。うん、うん、う〜ん。
あっ、原田さんに本を貸していただいて勉強をしてみましょうか。女子の身体に関しては
あの人以上に詳しい人もいないでしょうし、それで駄目なら土方さんに・・・。
散々からかわれるだろうし二.三発は殴られるかもしれませんが、これも男の矜持を
保つためです。我慢しなくてはいけませんよね。うん、ここは我慢のしどころです」
唖然として総司の言葉を聞いていたセイが途切れた言葉の合間に声を挟んだ。
「あ、あの・・・総司様? いったい何を教わると?」
「床上手になる方法です。貴女に下手だと思われたままでは男の矜持が・・・」
「何を言ってるんですかっ!!」
叫ぶようなセイの声にようやく総司の意識が暴走を止めた。
「違いますっ! そんな事、思っていません! だいたい上手下手なんてわからないですっ」
好いた男に求められ、その熱に翻弄されて一杯一杯だったセイに
余計な事を考える余裕などあるはずもなかったのだから、
総司の妙な心配など無用以外の何ものでも無い。
ようやくそこに思い至った総司が恐る恐るセイを覗き込んだ。
「では、何故、共寝は嫌だと言うのです?」
「嫌なんじゃなくて・・・」
両手で顔を覆ったセイがその場を逃れるように半身を捻った。
「・・・・・・恥かしくて・・・・・・怖くて・・・」
消えそうな声音を聞き取ったと同時に、身を捩ったセイの耳や項が
真っ赤に色づいている事にようやく総司が気づいた。
愛しいから、傍にいたい。
けれど自分達は「夫婦なのだから」と単純に片付けられる関係では無かったため、
祝言を挙げはしても距離を保ったままだった。
それでもすれ違っていた想いをようよう重ね、昨夜真実の夫婦となった。
かといって、祝言以来総司の本心が見えずに竦んでいたセイの心が、
すぐに現実を受け止める事は出来なかったのだ。
一日中、総司が自分をちらちらと見ていたのは気づいていた。
けれどその時も、夕餉の後で総司の床を延べる時も、セイの布団もこちらに持ってこい、
とは口にしなかった。
許されないままに勝手に寝間を一緒にしてはいけないように思えた。
まるで昨夜与えられた総司の熱を再び求めているようではないか。
そう思われる事が恥かしい。
はしたない女子だと嫌われる事が恐ろしい。
それでも想いの向かう先はただ一人の男の元で・・・。
女子としても妻としても未熟な娘は、どうしたら良いのかわからずに、
結局今まで通りの距離感を保つ事を選択したのだ。
ぽつぽつとセイの想いを聞かされた総司が大きな溜め息を吐いた。
それを耳にしたセイの肩が大きく震え、総司を見上げる瞳が潤んだ。
やはり嫌われてしまったのだろうかと、瞳の中で不安が揺れる。
「違いますよ・・・」
屯所にいた頃はこんなに頼りない肩だとは感じなかったものを、と思いながら
華奢な肩を抱き寄せる。
「自分の至らなさに呆れているんです。武士として、同志としての私達には
言葉にせずとも伝わり理解できる繋がりがありましたよね」
その言葉にセイがコクリと頷いた。
「でも男と女子として、夫婦としての私達にはそんな繋がりはまだできていない。
武士として並び立っていた時には少し前を歩んでいた私が貴女を導く事もできた。
けれど今、貴女の夫としてここにいる私は、貴女と同じ足場にいる。わかるでしょう?」
長く女子を近づけずにきた男の野暮天具合はセイが最も良く知っていた。
形として夫婦になったといえど、いきなり男女の機微を理解できるはずも無い。
「お互いにわからない事だらけです。ひとつひとつ言葉にして問いかけ、共に答えを
見出さなくてはいけない。先程貴女が言った、嫌われるかもしれない、とか、
恥かしい、という不安は私にもあります。けれど・・・」
セイの頬を大きな手の平がそろりと撫でた。
昨夜の言葉を思い出せ、というように。
「貴女は私が望む事は許してくれるのでしょう? そして絶対に離れないと言った」
総司の手の平に頬を擦りつけるようにして、セイが幾度も頷いた。
「私はそれを信じます。だから貴女にも私の気持ちを信じて欲しい。
“貴女を傷つけてでも離さない。何があろうと、絶対に”
昨夜言った事は嘘でもその場の勢いでもありません」
だからこれからはどんな些細な不安でも全て自分に告げて欲しい。
総司がセイの瞳を覗き込みながら語りかけ、桜色の唇が返事の代わりに
男の唇に押し当てられた。
葦戸を通して響く虫の音に微かな囁きが時折混じり、いつしか甘やかな吐息に変わる。
不器用な男と女子の夫婦としての時間が、ようやく始まった夏の夜だった。